鹿児島認知症ブログ

鹿児島でコウノメソッドや糖質制限を実践している脳神経外科医のブログ

患者さんの写真を残すことの意義。

 いつかはこのような日が来ると思っていた。

80代男性 アルツハイマー型認知症

 

1年ほど前から衰えが目立つようになった、とのことで娘さんに伴われて物忘れ外来を受診された方(以下、Aさん)。

 

初診時の長谷川式テストは7点で遅延再生は1点。透視立方体模写と時計描画テストはいずれも不可で、頭部CTの左右差のない脳萎縮、海馬の中等度萎縮からアルツハイマー型認知症と診断した。

 

介護職をされていたご家族の理解は早く、介護保険申請を行い今後に備えていくことが速やかに決まった。抗認知症薬は相談の結果、イクセロンパッチを選択した。

 

初診から1ヶ月後。

 

自発性が向上して自分のことを自分でするようになり、また夜もよく眠れるようになったようだ、と娘さんはとても喜んでおられた。ご本人は首をかしげながらもニコニコと相好を崩す。少し痒みがあったので、イクセロンパッチは4.5mgのまま据え置きとした。

 

その後、穏やかに時間は過ぎていった。お会いして半年後にガンが見つかったが、年齢を考慮した結果侵襲的な治療(手術や抗がん剤、放射線治療など)は行わずに経過を見ていく方針となった。

 

穏やかに時間は過ぎ、徐々に衰えていくAさん

 

痒み対策をしながら、途中でイクセロンパッチは9mgに増量した。

1~2ヶ月おきで外来に来られるAさんは、いつも穏やかな笑みを湛えていた。時折長谷川式テストを行っていたが、大方10点前後で変化はなく、またAさんも娘さんも点数を特に気にすることもなく、世間話をして帰って行かれる日々。

 

ガンの発覚から約1年が経過し、他の臓器への転移が疑われた。当初の緩和的治療方針は変わることなく、穏やかに時間は過ぎていった。

 

初診から1年9ヶ月が経過したある日の外来で、Aさんの息切れが目に付いた。表情は穏やかだが、かなりキツそうである。

 

ガンをフォローしている病院からの情報提供書には、

 

担当医)貴院からの処方を3ヶ月分お願い出来ますでしょうか?

 

と書かれていた。これを見て自分は、「3ヶ月持たないかもしれないのだな・・・」と感じた。

 

そして、その2ヶ月後に息子さんが直接病院に来られて、こう話された。

 

息子さん)今朝方、父が亡くなりました。先生には生前大変お世話になりました。

 

状況を客観視出来れば、介護は楽になる

 

丁寧なご挨拶に、こちらも深く頭を下げる。その後息子さんは、こう言われた。

 

息子さん)先生。恥ずかしい話ですが、父の最近の写真がうちにはないのです。姉から聞いたのですが、先生が外来で撮っていらっしゃった写真で、父がとてもいい笑顔をしていたようですね。遺影に使いたいので頂けないでしょうか?

 

これこそ、自分がいつか依頼されるであろうと覚悟していた言葉である。

 

物忘れ外来を受診する方達には、初診時に写真を撮らせて頂いている。また、経過中も折に触れて写真を撮らせて頂いている。その目的は2点。

 

  1. 初診時の写真を残しておくことで、その後表情や病状に変化があった際に比較することが出来る。
  2. ひょっとしたら、いつか遺影に使いたいというご希望があるかもしれないので、初診時を含め経過中のよい笑顔を残しておきたい。

 

勿論、嫌がる方の写真を無理に撮ることはない。特に、ピック病の方はカメラを向けられると過剰に反応することがあるので(被刺激性亢進)、やはり無理に撮ることはしない。今のところ、概ね9割以上の方の写真は問題なく撮らせて頂いている。

 

最初は怪訝な表情をされるご家族もいるが、経過中に初診時の写真をお見せすると

 

○ああ、最初はこんなに元気がなかったんですね~。今は大分良くなりましたね!!

○最初はこれぐらい笑えていたのに、今はやっぱり衰えているんですね~

 

などと、驚いたり感慨に耽ったり。不思議なことに、皆さん一瞬だがとても冷静な表情になる。

 

介護に夢中の日々を送っていると、どうしても物の見方や考え方は主観に偏りがちとなる。これは致し方のないことだが、写真を振り返ることで少しでも状況を客観視することが出来るようになれば、介護者は相当楽になる。介護者が楽になれば、患者さんも精神的に落ち着くことが多い。二重の意味で、写真を振り返ることにはメリットがある。

 

患者さんの人生後半戦に関わり、そして周囲の方達の今後の人生にも・・

 

一回でも関わった人は、出来るだけ長く経過をみたいという想いを持って開業した。

 

そもそも論だが、人が生きていく上で医者や病院に関わらずに済めば、それに越したことはない。

 

中には病院好き、というちょっと変わった人達もいるが、好んで病院に行きたいとは普通は思わない。それでも来ざるを得なくなった人達に、自分は質の高い「何か」を提供したいと考えている。

 

その「何か」とは、例えば他では難しい薬物微量調整であったり、栄養に関するアドバイスであったり、介護の工夫であったり、はたまた「病院に来ないで済む工夫」であったり。

 

関わりすぎは依存心に繋がり、関わらなさすぎは疎外感を産む。「若干おせっかい」ぐらいの距離感を保ちながら経過を見ていくことを、個人的には理想としている。

 

通夜や葬儀に参列する人達は、遺影を見ることで何事かを想い浮かべる。つまり、遺影は故人を偲ぶための重要なtriggerとなる。

 

その遺影に自分が撮影した写真を使って頂けたことは、その方の人生後半戦に深く関与した証である。そして、遺影を見た人々の今後の人生にも何事かを遺し続けることになる。

 

これは非常に重大な、そして誇りあることのように自分には思える。そして、この出来事が開業準備中に起きたことに、自分のクリニックが持つ使命のような何かを感じた。

 

そして今日もまた、外来で写真を撮り続ける。 

 


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