鹿児島認知症ブログ

鹿児島でコウノメソッドや糖質制限を実践している脳神経外科医のブログ

「認知が進んだ」とか「認知が入っている」などという表現を、医療介護現場から払拭したい。

「毎度ありがとうございます→まいどあり」

「焼酎ハイボール→酎ハイ」

「就職活動→就活」

 

言葉を略する力が高い(好きな?)日本人。造語能力が高いとも言えようか。

 

「恋の活動→恋活」

「結婚に向けた活動→婚活」

「妊娠の為の活動→妊活」

 

略するとは、希釈することでもある。そういう意味では上記3つの中でも特に妊活は「上手く希釈しているなぁ」と感心する。*1

 

今回は、医療介護現場に蔓延する

 

「認知症が進行した→認知が進んだ(もしくは認知が"入った")」

 

と略する風潮について考えてみる。

 

80代女性 アルツハイマーと言われたりピックと言われたり・・・

 

初診時

 

(既往歴)

 

高血圧症 
以前、夕方になると抑うつになることがあった

(現病歴)

夫を亡くした後に、施設入所。そこでは折り合いが悪く、数年後に別の施設に入所。

 

活動性が高く、他人に干渉しすぎるきらいがあると施設側から指摘を受け、かかりつけからウインタミン細粒を処方された。「ピック的だ」と言われたらしい。その後コントミンに変更増量。ピックを疑う症状としては鼻歌や多動、感情の起伏が激しいことなど。

 

今年に入り、認知症の専門外来を受診したところ、「ピックの可能性は低い。脳萎縮のパターンからすると、アルツハイマー的だ」と言われた。ただ、その見立てをかかりつけに告げても、特にそれを参考にして薬剤変更が為された形跡はないとのこと。

 

いつの間にか、コレステロールが高いからこの薬、動悸がするならこの薬、と薬が増えていくのが心配だ、と娘さん。

 

最近、肩こりや便秘、頭がボーッとするなどの訴えが増えてきて、そのせいか落ち着きのなさが目立つようになったとのことで、娘さんに伴われて受診。

 

(診察所見)
HDS-R:20
遅延再生:2
立方体模写:不可
時計描画:不可
IADL:1
改訂クリクトン尺度:14
Zarit:8
GDS:10
保続:なし
取り繕い:なし
病識:あり
迷子:なし
レビースコア:0
rigid:なし
幻視:なし
ピックスコア:1
頭部CT所見:特記所見なし わずかにDESHありか
胃切除:なし
歩行障害:ややすり足
排尿障害:なし
易怒性:たまにあり?
傾眠:なし

(診断)
ATD:△
DLB:
FTLD:
その他:

(考察)

熱心な娘さん。コウノメソッドを勉強し、ピック的な要素を感じることはある、とのこと。ただし、「過活動や他人に干渉しすぎと施設側から言われる症状は、昔から世話焼きだった母の特徴だと思います」とも話す。

 

ご本人は、診察中は穏やかに着席しており、典型的なピック要素はまるで感じない。ただ、それは投薬で抑えられているからかもしれない。視立方体模写と時計描画テストの結果からは、視空間認知の衰えはあるだろう。GDS10点は、抑うつ傾向として気をつけるべきか。また軽度だが頭部CTでDESHを認め、水頭症要素関与の可能性は留保しておく。

 

これまで抗認知症薬の使用はなく、現在コントミン50mg/day。これは多すぎる印象。一旦25mgに減らしてみましょうか。「不安で心配で」と本人はしきりに話している。抑うつから周辺症状発現に繋がっているのかもしれない。

 

認知面に影響する薬は、ご希望あり当院預かりとする。
次回はバイアスピリンをプレタールに変更する?左島皮質にLDAあり。

 

(引用終了)

 

施設側が問題と感じている症状や訴えであれば、出来れば施設スタッフが同伴した方がよい 

この方の頭部画像を1枚提示する。

 

シルビウス裂拡大の頭部CT

 

両側でシルビウス裂が拡大していた。その他の所見としては左島皮質に低吸収域を認め、前医がバイアスピリンを出しているのは、これを脳梗塞痕(虚血痕)と捉えたからであろう。このスライス以外の箇所で、特に引っかかる所見はなかった。

 

シルビウス裂拡大は、正常圧水頭症を疑う際の重要所見ではある。ただし、それ単独で「正常圧水頭症!」と断定できる訳ではなく、その他にも

 

  • 頭頂部脳溝描出不鮮明
  • 局所脳溝拡大
  • 脳梁角の鋭角化

 

といった所見があれば、診断の参考になる。

 

この方の歩行はややすり足であったので、もし今後頻尿の要素が加わるようなことがあれば、治療の優先順位として水頭症が上位にくるかもしれない。現時点では、画像所見含めて「疑い」レベルである。

 

今回のような「主な介護者は施設スタッフで、家族はたまに会う程度」というケースでは、施設スタッフ視点と家族視点が食い違うことがある。

 

  1. 他者へ過剰に干渉しすぎる。感情の起伏が激しい。常に不安を口にして落ち着きがない。(施設側の意見)
  2. 他人に干渉しすぎると言われても、母は昔から性格的にお節介で、人の世話を焼くのが好きな人だった(家族の意見)

 

我々は、1と2のどちらを重視したらいいのだろう?

 

1に力点を置くと、薬の処方に繋がりやすい。2に力点を置くと、「この人はこういうキャラクターなのだから、それを利用して○○したら落ち着くかもしれない」という発想に繋がり、その場合投薬せずに済むこともある。

 

家族と施設スタッフの両者が揃えば各々の意見を直接聞いて参考に出来るのだが、今回は施設スタッフの同伴はなく、ご家族が施設側の意向を代弁しつつ自分の考えも述べるという状況であったため、かなり悩ましかった。

 

「表現」の仕方で対応が変わる

 

あと、施設スタッフのアセスメント能力には個人差が当然ある。経験豊かなスタッフのアセスメントと、入職間もないスタッフのアセスメントが同レベルなはずはないが、「声の大きな」スタッフの意見が通りやすいといったことは、どのような職場でもあるだろう。それに引きずられて不正確な評価が定着してしまう可能性はある。

 

今回の「他人に干渉しすぎる」といった訴え(?)が、当該施設スタッフの総意なのかは分からなかった。たまたま経験の浅いスタッフが夜間シフトで対応に手こずった場合、それが「問題行動」とか「介護抵抗」といった言葉で翌日当番のスタッフに申し送られると、その方の「症状」として固定されてしまう、ということは大いにあり得る。

 

これはよく経験することであるが、当院にグルタチオン点滴で来られる患者さんに付き添う施設スタッフに

 

「普段のご様子は如何ですか?」

 

と聞いたときに、

 

「午前中に易怒性が高まることがありますが、以前と比べて頻度的に変わりはないです。こちらで十分に対応可能です。」

 

と返答するスタッフもいれば、

 

「いやあ、中々大変ですよ、怒りっぽくて・・・」

 

と返答するスタッフもいる。見る人で評価は変わるものである。

 

また、例えば服を着替えるのに手間取っている利用者さんを、

 

「服を着ようとしてうまくいかずにイライラしている利用者に手を貸そうとしたら、「余計なことをするな!」と手を振り払われた。あの人には「介護抵抗性」がある」

 

と評価するのと

 

「服を着るのに手間取っているみたいだ。これは「着衣失行」だろう。となると、中核症状の悪化と考えていいのかもしれない。こちらが着衣前に声掛けで早めに対応すればイライラせずに済むかもしれない」

 

 と評価するのとでは、雲泥の差がある。後者の場合、評価の先のプランまで検討できている。

 

「結果」に着目するのか「原因」に着目するのかという違いでもあるが、困り事の誘因(原因)となっているものに目を向けない限り、解決や緩和には中々結びつかない。評価するための語彙力が乏しければ、提案する内容も薄くなるだろう。

 

「認知が進んだ≒ハイハイ、じゃあお薬増やしときますね」の無慈悲なコンボ

 

さし当たっては、施設内で用いるアセスメント用語とNGワードは統一した方がよいと思う。自分にとってのNGワードの最たるものは、冒頭で取り上げた

 

「認知が進んだ」

 

である。

 

これは何を言いたいのかさっぱり分からない言葉(表現)である。

 

そもそも認知とは、「対象を知覚し、それが何かを判断したり解釈したりすること」なので、「認知が進んだ≒物事への理解が深まった」なら、まだ日本語として分かる。しかし実際には、「認知が進んだ≒認知症が進行した」という使われ方が蔓延っている。

 

「中核症状と周辺症状が、私は区別できません。また、私は認知症の病型の区別がつきません」

 

と自ら宣言しているようなものであり、少なくとも認知症に関わる医療職や介護職が使うべき言葉ではないと思う。

 

「語義失語が目立つようになった」であれば、「ひょっとしたら左の側頭葉に何かイベントが起きたのでは?」と考えられるし、「今後ピック的症状が惹起される前に、一度抗認知症薬を見直しておいた方がよいかな?」と考えることも出来る。

 

しかし、「認知が進んだ」という表現からは、次に行うべき具体的な準備や施策が何も浮かんでこない。具体的な施策が浮かんでこなければ、対応は場当たり的になる。場当たり的な対応の最たるものは、「先生に言って薬を増やして貰う」である。

 

介護スタッフ間に能力差があるように、医者にも当然能力差がある。そして、実はこちらの方が問題が大きいというか、実害が大きい。何しろ薬を処方する側である。

 

利用者さんに同伴する介護スタッフには是非、

 

「この医者には、この言い方で果たして通じるのかな?」

 

と考えて頂きたい。

 

互いのバックグラウンドが異なる場合、語彙力豊かな側が、語彙力貧弱な側に歩み寄る必要があるが、貧弱なのは得てして医者側だったりする。

 

最悪なのは、お互いに語彙力が貧弱な場合である。

 

  施設スタッフ「先生、○○さんの認知が大分進んできてますね~」

医者「ああ、認知が進んできたのね。じゃあ、抗認知症薬を増やしておくからね」

 

抗認知症薬の不用意な処方や増量が目に付くことが多いが、その一因として上記の様な「語彙力が貧弱な者同士で行われる場当たり的な対応」があるのではないだろうか?

 

その意味が希釈され正確に伝わらなくなった結果、誰かが被害を被ることがある。言葉を略することには慎重であった方がよい。

 

介護側と医療側がお互いに情報を持ち寄り、互いの技量を値踏みしつつ、伝わるであろう言葉で伝え合う。そのような外来をしたいと願っている。*2

 

高齢者の薬(抗認知症薬を含む)は、いつまで続けるべきだろうか? - 鹿児島認知症ブログ

*1:ところで、略語ではないが「オトナ女子」の意味が分からない。成人女性ではダメらしい。成人=オトナ、女性=女子とすることで永遠の若さを夢見ているのだろうか?

*2:最近は介護サイドの表現力を含めた実力アップを感じる機会が増えた。嬉しいことであり、自分も頑張ろうと励みになる。