鹿児島認知症ブログ

鹿児島でコウノメソッドや糖質制限を実践している脳神経外科医のブログ

「認知症は進行を抑えることが最も大事」≒「進行抑制真理教」?

 全ての抗認知症薬の添付文書、「効能又は効果」欄には

 

  アルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制

 

という文言が書かれてある。

「認知症が進行したら大変だ」
「ちょっとでも遅らせることが出来たら・・・」

 

という皆の想いがいつの間にか、"認知症は進行を抑えることが最も大事"となってしまった感がある。

84歳男性 アルツハイマー型認知症

 

現在施設入所中。特に困ったことはないが短期記憶低下は目立つようになってきた、とのこと。


「進行を遅らせてあげたい!」と強い希望を持ったスタッフに伴われて来院。

 

(診察所見)
HDS-R:13
遅延再生:1
立方体模写:OK
時計描画:OK
IADL:2
改訂クリクトン尺度:7
Zarit:0
GDS:3
保続:なし
取り繕い:なし
病識:なし
迷子:なし
レビースコア:ー
rigid:なし
幻視:なし
ピックスコア:ー
FTLDセット:ー
頭部CT所見:特記所見なし
介護保険:要支援1
胃切除:ー
歩行障害:なし
排尿障害:なし
易怒性:なし
傾眠:なし

(診断)
ATD:〇
DLB:
FTLD:
その他:

(考察)

 

長谷川式テストは後半失点パターンで、臨床症状としては典型的なアルツハイマー型認知症。Zaritは0点でクリクトン尺度は7点。周辺症状はなにもなく、穏やかに過ごしているとのこと。

 

『熱心なスタッフが家族を口説き、かかりつけ医に抗認知症薬処方を依頼。困ったかかりつけ医が当方に相談』というパターン。

 

「今困っていない穏やかな方が、抗認知症薬を内服するメリットは非常に低い」ということをスタッフに説明したところ、納得した。経過観察で。

 

(引用終了)

 

誰にも分からない未来のことを約束できるのは宗教しかない

 

手塩にかけて育てた子供達が巣立っていくことに寂しさを感じる。長年勤めてきた仕事を退職し、時間を持て余すようになる。そうこうしているうちに自分の親が亡くなり、気づけば自身もいつの間にか、一つ二つの薬を毎日飲むようになっている。

 

年齢を重ねることで生まれる喪失感からは、誰も逃れることは出来ない。

 

その心の隙間に、毎日のようにテレビで耳にする言葉がスッと入り込んでくる。

 

「ひょっとしたらその物忘れ、認知症かも?早めにお医者さんを受診しましょう!」

 

そして、不安に駆られた人達は病院を受診する。その病院の医者が信じる宗教は「進行抑制真理教」。

 

進行抑制真理教は

 

「認知症は、進行を遅らせることが一番大事だよ・・・進行すると大変だよ・・・悲惨なものだよ・・・」

 

と、迷う人々にそっと囁く。

 

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生前確定診断技術が未だ確立せず、かつ根本治療薬も存在しない現在、「進行を遅らせる」という文言がどれほどの未来を約束しているのか、自分は甚だ疑問に思う。

 

一旦薬が始まった後、そこから先の衰えが果たして病気の影響なのか、それとも年齢からくるものなのか、正確に区別できるのだろうか?

 

そして、進行を遅らせたその未来は果たして幸せなのだろうか?

 

確実に分かっているのは、

 

「今と全く変わらない未来などない」

 

ということだけである。

 

抗認知症薬で進行を抑制することが最も重要だと患者に説明して薬を処方する所行は、あたかも中世ヨーロッパで流行した贖宥状(免罪符)の販売を彷彿とさせる。贖宥状とは、現世の罪を金で贖うことで天国を約束する御札のことである。*1

 

誰も予想出来ない「認知症の進行を遅らせた素晴らしい未来」を、抗認知症薬は果たして約束してくれるのだろうか?

 

Indulgence San Giovanni in Laterano 2006-09-07.jpg

(贖宥状。Wikipediaより) 

  

宗教で救いたいのは患者さん?それとも自分?

 

根本治療が出来ない、つまり本来の意味で治すことが出来ない認知症という病気にもどかしさを覚えるのは医療者であれば当然だろうが、そのもどかしさに向き合い続けるのもまた医療者の使命である。

 

向き合い続ける事に疲れ、思考停止した医療者に「進行抑制真理教」はそっと囁く。

 

「進行を1年間遅らせるエビデンスがちゃんとある薬を使っていたんだから、進行したことはあなたのせいじゃないよ。病気のせいだよ。あなたは悪くないんだよ・・・」

 

その囁きを聞いた医療者は、後ろめたい気持ちが少し晴れたような気がする。そして、患者家族にそっと囁く。

 

「この薬を飲んでいるから、これぐらいで認知症が落ち着いているんだよ?飲んでいなければ、もっと進行していただろうし、止めたら必ず進行するよ?」

 

この宗教は、医療者にとっては最低限自己救済のメリットはあるのかもしれない。

 

多くの宗教は、他者救済の押しつけという厄介な一側面を持つ。進行抑制真理教はどうだろうか?抗認知症薬を押しつけてはいないだろうか? 

 

対症療法と割り切って支援に徹すれば良い

 

その病気の根本治療がない状況では、ひとまずは対症療法に徹するしかない。それは別に恥ずかしいことではない。

 

例えば風邪の治療など、ただの対症療法である。

 

咳や鼻づまりといった不快な風邪症状が治るまで、被害を最小限に食い止めるために抗アレルギー薬などを使うだけの話である。この場合の被害とは、学校や仕事といった社会生活に影響が出るという意味である。

 

そして、風邪が治るとは薬で治る訳ではなく「自分の免疫がウイルスを駆逐した」ということである。勿論通常は、薬を使うまでもなくいつの間にか治るものである。

 

自分の免疫で駆逐できるわけではないが、認知症治療も同じように考えられないだろうか。

 

いつの間にか自発性低下や物忘れが始まり、怒りっぽくなったり幻覚をみるようになった結果、自分も周囲も困っている場合には、まずは怒りっぽさや幻覚に対して薬を処方して被害を最小限に食い止める。この場合の被害とは「家族の精神的肉体的負担、そして患者本人が周囲から孤立して社会生活に影響が出ること」という意味である。

 

薬を使うかどうかについては、訴えが短期記憶低下のみであれば無理に抗認知症薬を使う必要はないだろう。それこそ他者救済の押しつけになりかねない。

 

ただし、本人や家族の希望があれば、副作用の説明を十分に行った上で試すことはありだろう。効果が確認出来たら続ける。副作用が出たり効果が確認出来なければ止める。これは押しつけにはならない。

 

周辺症状も程度次第。例えば幻視は、本人が怯えてADL低下に繋がるものでなければ無理に抗精神病薬を使うことはない。生活に溶け込んで別に困っていない幻視というものは、実際にある。*2

 

抗精神病薬は使わないに越したことはないが、易怒性や幻覚で社会生活に支障が出ている場合には、用量に十分注意して使えば良い。これを「抗精神病薬は危険だ!」という思想で処方を行わない場合、負担を強いられるのは介護者である。

 

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今現在活気が落ちていたり自発性が低下していたりする方が、抗認知症薬で元気になる例はいくらでもあるが、

 

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この場合の抗認知症薬使用は対症療法的使用であり、進行抑制目的での使用ではない。同じ薬を使うからといって、その目的まで同じという訳ではない。

 

対症療法とは、今現在困っている症状に対して治療を行うことであり、用いるのは何も薬だけと決まっているわけではない。副作用や思わぬ反応には気をつけながら、サプリメントだろうがアロマだろうが使って効くものであれば何だって使えばいい。

 

進行抑制治療とは、「将来進行したら困るかもしれないから、今から薬を使うと進行を遅らせることが出来るかもしれない」という治療である。進行抑制を100%保証する治療など、残念ながらまだ存在しない。

 

不確実さに向き合い続ける

 

そもそも医者にとって、「薬を飲む患者」は常に目の前の一人だけである。患者自身にとっても、「薬を飲む自分」は当然、自分一人だけである。

 

「薬を飲まなかった同じ患者」と比較しながら経過観察することが不可能な以上、厳密な意味で進行を遅らせることが出来たなどと評価出来るはずがない。「〇〇人を対象とした大規模臨床試験で効果を確認した」という宣伝文句が、「自分の目の前のある一人の患者さん」にそのまま当てはまるかどうかは、誰にも分からないのである。

 

不確実さに向き合い続けることが人生だし、縋る縁を求めるのもまた人生である。

 

人間や薬が、他者に確実な未来など約束出来るはずがない。約束出来るというものがあると言うのなら、それは「宗教」と呼ぶべきであろう。

 

患者が自己救済の為に薬(宗教)を使用したいと言うのであれば、立ち回りとして司祭役を求められる*3医者は個体差を重視しながら用量用法に気をつけて処方を検討すればよい。

 

不安という個人的ニーズに応えようとする場合、宗教は個人にとっては有益となり得る。良きにしろ悪しきにしろ、一対一の関係性で終わることである。それはまた、患者側(信者側)のリテラシーが試されていることでもある。

 

しかし、司祭側が「there is no alternative(認知症は進行抑制のため薬を飲むこと以外に治療法はない)」と宗教(薬)を押しつけるのであれば、それは最早「布教」のようなものではないだろうか。

 

宗教を布教するということがどういうことか、古今東西多くの例が教えてくれている。

 

最後に、全ての抗認知症薬の添付文書に書いてあるもう一つの文言を紹介して本稿を終える。

 

「症状」の進行抑制と、「病態」の進行抑制。書き分けを巧妙と捉えるかどうかは、読む人次第である。

 

 

本剤がアルツハイマー型認知症の病態そのものの進行を抑制するという成績は得られていない。

 

☆2019年2月20日追記

 

早期に抗認知症薬を使用した方が、認知機能低下が早まったという報告が出ています。

 

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*1:「現世の罪≒認知症が進行した悲惨な人生」、「御札≒抗認知症薬」と置き換えてみた。中世では人々が贖宥状に群がり、現代では人々が抗認知症薬を渇望する。

*2:「先生の横にライオンが座っているよ~」と、ニコニコしながら話すDLBのお婆ちゃんがいたりする。

*3:医者側の意図は別にして、社会的には往々にしてそのような役回りを求められているように思う